空と大地の物語


叶わぬからこそ 求めて止まない

 

 空が遠い。

 手を伸ばし虚空を握り締めた少女はそう思った。
 どれだけ大きくなれば、あの空に届くだろうか?
 大人になったら?
 偉い人になったら?
 …………死んでしまったら?

 あの空に、この手は届くだろうか。

 少女は唇を噛締めて、ゆっくりと振り返った。
 そこにあったのは小さな墓標。
 立派とはいえない、けれどたくさんの花に囲まれて佇む小さな墓標。
 少女の唯一の肉親。
 無償の愛を与え教えてくれたたった一人の肉親。
 けれどもはやこの世にはいない肉親が眠る場所。
 少女の瞳からは出し尽くしたかのように思えた涙がまたじわりと滲み出てきた。
 溢れて止まらない涙を拭い、もう一度少女は空に手を伸ばす。

 あぁ、どうか。
 もう一度だけお母さんの手を握り締めたい。
 ずっと傍にいてくれなくていいから。
 もう一度だけその手を強く握り締めたい。

 けれど空は紅く染まり行くだけで少女の願いを聞き届けてはくれなかった。 
「そろそろ家に帰りなさい」
 ひっそりと空気に溶け込むように少女の傍に寄り添っていた老人が呟いた。
「そうしておっても、空はお前さんのものにはならんじゃろう」
 老人の言葉に頷いた少女は、それでも名残惜しそうに空を見上げ続けた。
 その姿に老人は小さく息を吐くと、少女の横に腰を下ろし沈み行く太陽を眼を細めて眺めた。
「むか〜しむかしのことじゃ…」
 唐突に老人が話し始めた。
「まだ人間がこの世に生まれていなかった頃、そこには空と大地だけがおった」
 少女は老人の横顔をじっと見詰める。
「空は大地の雄々しい姿に心を奪われ、大地は空の果てしない広さに魅了された」
 老人はその皺のある手で大地をそっと撫でた。
「空と大地は互いを深く愛し、いつしかもっと傍に寄り添いたいと願うようになったのじゃ。今のお前さんのように、その身に触れたいと願ってしまったのじゃよ」
 決して交わらぬ空と大地が願った禁忌。
「それを神は許さなかった。空は闇を持ち夜になるとその姿を大地から隠されてしまった。大地は山が火を噴きその身を傷つけられた。それが幾百年と続いたある時、空と大地は神にこう申し出たのじゃ」
「——————何て言ったの?」
「共になりたいとは願わない。けれどどうか繋がりあえる何かが欲しい、と神に頼んだのじゃ」
「繋がりあえる…何か………」
「神は空と大地の願いを聞き届けた。空が涙を流し、大地がそれを受け止め海とする。海はまた空へと溶け込み、空は再び涙を流す………永遠に、触れ合えられぬからこそ出来た輪廻じゃよ」
「雨………雨は空の涙なの?」
「そうじゃよ。大地を思い泣く悲しみの涙じゃ。じゃがその涙のおかげで空は大地と繋がっていられる。大地もまた涙を感じる事で空を想い続けておるのじゃよ」
「………空と大地を………繋いでる………」
「空も大地も、叶わぬからこそ求め続けた。お前さんも同じじゃ。叶わぬからこそ願い続けてしまう。それが心あるものの定めじゃからな。じゃがな、決して手には出来ぬのじゃよ。出来ぬからこそ求め願い続けてしまうのじゃからな」
「でも空と大地には雨があるじゃない。繋がっていられる雨があるわ。私には何もっ」
 何も無いのだと言い募ろうとした少女の手を老人が握り締めた。少女よりも一回りも大きなその手は、しかし老人とは思えぬほど力強いものであった。
「この身に流れる血こそが、お前さんの母親と繋がっているものじゃろう。またお前さんの心も繋がっておる。その身が何よりの絆じゃろう」
 力強さとは裏腹にどこまでも優しい声音に、少女は老人を見返した。
 深い黒曜石の目の奥には自分を労わる優しい光があった。
「ずっと…繋がっていられる?」
「もちろん。お前さんが母親を忘れず、空を想い続ける大地のように堂々と生きておれば、決してその絆が切れる事はなかろうて」
「お母さんも…私の事忘れないでくれるかな……」
「子供を忘れる母親がどこにおる?大地を見つめる空のように、お前さんを見守っていてくれているさ」
 皺が深く刻まれたその笑顔に向かって少女は小さく頷き、そしてありがとうと呟いた。


 空が夕闇に染まる頃、二人の影がゆっくりと大地に伸びていた。



———The End———



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2005/01/07